Logos -LivexEvil Ante Christum- act.04
エビル外伝四回目です。
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4.
「そしたらあいつ、なんて言ったと思う? 白紙ってのはなにも書いてない紙のことだ、だってさ。天然なのかバカにしてんのか、どっちなんだろうな」
「天然なんだろ、きっと」
ラウルは小さく苦笑しながら言った。体は机に向けたまま、横顔だけで俺を振り返る。「じゃなきゃ、お前をバカにしてるんだ」
「なんだよそれ。答えになってねぇし」
ベッドにうつ伏せたまま、俺は不服の声を返した。四年越しのルームメイトは、再び机に向き直り、背中を軽く笑わせる。
――士官学校では、入学と同時に宿舎生活が義務付けられる。赤の他人と一つ屋根の下暮らすことで、軍隊に必要な協調性と忍耐力を養う目的があるのだろう。
幸いにして、ラウル・フェンフィとは最初からウマがあった。焦げ茶の髪と褐色の肌、それに、シェーナ人には珍しい薄いブルーの目を持つラウルは、さっぱりとした性格の、陽気で付き合いやすい男だ。左右の壁に沿って置かれた簡素なベッドと、窓際の勉強机、そして座り心地の悪い椅子。それだけしかない部屋での、制約の多い生活も、ラウルのおかげでずいぶん楽しく過ごしてこられたと思う。これが、ハツカやロウのような相手なら、こうはいかなかっただろう。実際、ロウのルームメイトは一年経たずに学校を辞めた。……もちろんその原因が、ロウにあるのかどうかは定かでないが。
「変わってるんだ、本当に」
俺は仰向けに体を転がしながら呟いた。染みの滲んだ天井を、見るともなしに眺める。「あいつがどんな軍人になるのかなんて、ぜんぜん想像つかねぇよ」
「それには同感だけど」
端末のキーボードを軽快に叩きながらラウルが言う。「今日もクロウス教官と派手にやりやったらしいな」
「それなら俺もハツカに聞いた。クロウス相手に軍閥主義を批判したって?」
「その一件のおかげで、卒業生総代はレン・ウォンシーで決まりらしいぞ」
「ハツカが勝手に騒いでるだけだろ」
「あと、学内の保守派連中もな。リーチンとか、チョウバクとかさ」
ぱちん、とひときわ大きな音がして、それを最後にタイプ音が止む。
「……あんまり関わり合いにはなりたくないやつばっか、だな」
名前を聞いて、俺はげんなり呟いた。仰向けのまま、ぐいと首を仰け反らせる。端末の電源を落としこちらに向き直るラウルの姿が、逆さの世界に映った。
「お前はそうでも、向こうは同じようには思っちゃくれないさ。やつらにとってレン・ウォンシーは、ロウ・ナギハラっていう異端に対する旗印みたいなもんなんだから」
「……めんどくせぇ」
心の底からぼやく。勝手になにかのシンボルに祀り上げられることほど、面倒で厄介なことはない。それはこの四年の間に、骨身に沁みて感じたことでもあった。
「お前はいつも、何かっていうとロウと比べられてきたからな」
席を立ったラウルが、自分のベッドに向かう。「まぁそれも、仕方のないことだと思うけど」
「本人にしてみりゃいい迷惑だよ。周りが思うほど俺もあいつも、互いのことなんか意識しちゃいないってのにさ」
ベッドに腰かけるラウルを見やりながら、俺は口を尖らせた。仰向けのまま、頭の下で両のてのひらを組む。少なくとも、ロウは俺のことなんか、まったく意識していない。自分の周りに存在する『その他大勢のひとり』ぐらいにしか認識していないだろう。
「お前らは、似てるけど違いすぎるんだ」
苦笑まじりにラウルが言った。「だから、周りが比べたがる。そういうもんさ」
「……」
俺はまた、天井の染みを眺める。
ロウ・ナギハラは、士官学校に入学した当初から有名人だった。それにはいくつかの理由がある。まず一つめの理由は、やつが入学生総代だったから。二つめの理由は、やつがシェーナとニホンのハーフだったから(この学校に通う生徒の九十九パーセントは生粋のシェーナ人だ)。そして三つめの理由は、やつが初めて出席した軍事史の授業で、教官に向けた言葉のせいだ。
『なぜ、諸国を従え、統率する必要があるのです。それではまるで、近隣の国々は、シェーナの属国のようではありませんか?』
ロウの放ったその言葉は、すぐさま学校中に知れ渡り、一部の生徒たちからは『ロウ・ナギハラを放校処分にするべきだ』という声が上がるほどの騒ぎになった。
それ以外にも、ロウにまつわる噂話は後を絶たない。実はハーフではなく生粋のニホン人なのだとか、飛びぬけて成績が良いのは教官の中に彼と通じている者がいるからだとか、ロウは他国のスパイだとか――数え挙げればキリがない。しかも当の本人が否定も肯定もしないものだから、噂はどんどん尾ヒレをつけて大きくなっていってしまう。
かくして、真偽のほどは確かでないまま、ロウに近づく人間はほとんどいなくなった。もっともロウ本人がそれを気にかけている様子など、まるでなかったのだが。
俺とロウは、入学当時から何かと比べられることが多かった。
生粋のシェーナ人。祖父の代から続く、由緒正しき軍人家系。母が出奔するという『些細なトラブル』はあったものの、何ひとつ不自由のない環境で俺は育った。周囲に俺を羨むやつはいても、さげすむやつはいなかった。
それに対してロウは、シェーナとニホンのハーフだ。両親はイルハムのバザールで小さな店を営んでいるらしい。
この国において、ニホン人の地位は低い。
一世紀以上前に起きた惑星規模の大災害。極東の小さな島国だったニホンは、その災害の影響で、国がまるごと海に沈んだ。母国を失い、国家難民となったニホン人を受け入れたのが、シェーナ共和国だった。
表向き、シェーナはニホン人を温かく迎え入れた。彼らが住むための土地も、生きるための仕事も与えた。しかしその一方で、ニホン人がシェーナ人と共存を始めて一世紀あまり、いまだシェーナの国内に、ニホン人に対する差別はなくならない。おそらくは、ロウの育った家庭もそれほど裕福ではなかったのだろう。バザールに店を出すというのは、シェーナにおける第三層、いうならば貧しい人々のすることに他ならないからだ。
マジョリティに生まれた俺と、マイノリティに生まれたロウ。万年二番手の俺と、常にトップのロウ。これほど比較に適した二人もたしかにいないと、自分のことながら思う。
だけど俺自身は、自分とロウとを比べてどうこう思ったことは、これまで一度もなかった。もともとそういうことに、あまり興味を持てない性格だからかもしれない。それに、自分自身と比べてみるには、俺はロウ・ナギハラという人間をあまりに知らなすぎた。
「軍に入ってからも、同じことが続くのかねぇ」
ごろりと寝がえりを打って、またうつ伏せになる。頬杖を突いて、ラウルを見た。ラウルはベッドの縁に腰かけたまま、変わらぬ苦笑を浮かべている。
「……さぁ、それはどうかな」
友人は、軽く首を傾けて、含みのある物言いをした。それから空気を変えるように、口許に滲む苦さを消す。「それよりも、卒業後の進路は決めたのか?」
「あー……、まだ決めてない」
「はぁ? 冗談だろ」
形の良いくっきりとした眉を持ち上げて、ラウルが呆れ声を上げる。「卒業まであと二ヶ月なんだぞ。留年でもするつもりか?」
「うるせぇな。二ヶ月以内に決めれば問題ないだろ」
俺はうんざりと目を細めた。「何も考えてないってわけじゃない。一応考えちゃいるけど、まだ決めてないだけだ」
「考えちゃいるって、どう考えてるんだ?」
「どうって……まぁ、なるようになるだろ、とか」
「あのなぁ、レン。そういうのは、考えてるとは言わない」
大げさなため息を吐いて、ラウルは首を左右に振った。頭痛がするとでもいうように、こめかみを指でグリと押す。「俺はてっきり、お前は兄貴と同じ情報本部に行くもんだとばかり思ってたよ」
「情報本部かぁ。それでもいいっちゃいいんだけどさ」
思ったままを答えると、もう一度ラウルがため息を吐いた。
「それでもいいってお前……自分のことだろ。何がしたいとかないのかよ」
「したいこと、ねぇ」
頬杖を突いたまま考える。
子供の頃から、大きくなったら軍人になるのだろうと思っていた。祖父も父も軍人で、将来はお前も立派な軍人になるのだと言い聞かされて育ったからだ。それ以上の理由はない。物ごころがつくころには、『軍人になる』という未来が、俺の中には当たり前に存在していた。その意味や、軍人になったあと自分がどうしたいかなど、――気がつけば、考えてみたこともなかった。
「……お前も、ロウとは別の意味で変わってるよな」
語尾をあいまいに濁したまま、それ以上言葉の続かない俺を見て、ラウルが呟く。
「そうかな。……そうかも」
俺は苦笑を浮かべると体を起こした。ベッドの上にあぐらをかく。「お前はたしか、陸軍志望だったよな」
「ああ。Fシリーズを思いっきり飛ばすのが、子供の頃からの夢だからな」
水色の目が無邪気に笑った。
「お前なら、良いパイロットになるんじゃねぇの」
「あたりまえだろ。誰に言ってんだ」
「ラウル・フェンフィ様にだよ。このヒコーキマニア!」
言いながら、枕を掴んで投げつける。咄嗟に受け止めたラウルの手元で、長らく日干しをしていない枕が、派手に埃をまき散らす。
「げほっ、なんだよこの枕! 汚ねぇな! あとマニアって言うな!」
むせながら、ラウルが枕を投げ返してきた。受け取る俺の手元でも、盛大に埃がたつ。同じようにむせる俺を見て、ラウルは可笑しげに笑った。それからふと、笑みをゆるめる。「……軍に入ってからもさ。一緒に働けるといいな」
「どうした? こんな馬鹿やれんのもあと二ヶ月だと思ったら、急に寂しくなったか」
枕を腕に抱えたまま、茶化すように俺は返した。
「……誰が寂しくなったって?」
馬鹿馬鹿しい、というようにラウルがふいと顔を背ける。
「拗ねんなよ、ラウ」
「拗ねてねぇよ。ていうか、なんで俺が拗ねなきゃいけないんだよ」
からかいの言葉を投げると、こちらを向いた横顔が、さらにヘソを曲げた。その様子をおかしく思いながらも――それとはまったく別のところで、俺はぼんやりと考える。
俺は自分と比べられるほど、ロウのことを何も知らない。
だけど俺はそれ以上に――俺自身のことを、何も分かっていないのかもしれない。
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「そしたらあいつ、なんて言ったと思う? 白紙ってのはなにも書いてない紙のことだ、だってさ。天然なのかバカにしてんのか、どっちなんだろうな」
「天然なんだろ、きっと」
ラウルは小さく苦笑しながら言った。体は机に向けたまま、横顔だけで俺を振り返る。「じゃなきゃ、お前をバカにしてるんだ」
「なんだよそれ。答えになってねぇし」
ベッドにうつ伏せたまま、俺は不服の声を返した。四年越しのルームメイトは、再び机に向き直り、背中を軽く笑わせる。
――士官学校では、入学と同時に宿舎生活が義務付けられる。赤の他人と一つ屋根の下暮らすことで、軍隊に必要な協調性と忍耐力を養う目的があるのだろう。
幸いにして、ラウル・フェンフィとは最初からウマがあった。焦げ茶の髪と褐色の肌、それに、シェーナ人には珍しい薄いブルーの目を持つラウルは、さっぱりとした性格の、陽気で付き合いやすい男だ。左右の壁に沿って置かれた簡素なベッドと、窓際の勉強机、そして座り心地の悪い椅子。それだけしかない部屋での、制約の多い生活も、ラウルのおかげでずいぶん楽しく過ごしてこられたと思う。これが、ハツカやロウのような相手なら、こうはいかなかっただろう。実際、ロウのルームメイトは一年経たずに学校を辞めた。……もちろんその原因が、ロウにあるのかどうかは定かでないが。
「変わってるんだ、本当に」
俺は仰向けに体を転がしながら呟いた。染みの滲んだ天井を、見るともなしに眺める。「あいつがどんな軍人になるのかなんて、ぜんぜん想像つかねぇよ」
「それには同感だけど」
端末のキーボードを軽快に叩きながらラウルが言う。「今日もクロウス教官と派手にやりやったらしいな」
「それなら俺もハツカに聞いた。クロウス相手に軍閥主義を批判したって?」
「その一件のおかげで、卒業生総代はレン・ウォンシーで決まりらしいぞ」
「ハツカが勝手に騒いでるだけだろ」
「あと、学内の保守派連中もな。リーチンとか、チョウバクとかさ」
ぱちん、とひときわ大きな音がして、それを最後にタイプ音が止む。
「……あんまり関わり合いにはなりたくないやつばっか、だな」
名前を聞いて、俺はげんなり呟いた。仰向けのまま、ぐいと首を仰け反らせる。端末の電源を落としこちらに向き直るラウルの姿が、逆さの世界に映った。
「お前はそうでも、向こうは同じようには思っちゃくれないさ。やつらにとってレン・ウォンシーは、ロウ・ナギハラっていう異端に対する旗印みたいなもんなんだから」
「……めんどくせぇ」
心の底からぼやく。勝手になにかのシンボルに祀り上げられることほど、面倒で厄介なことはない。それはこの四年の間に、骨身に沁みて感じたことでもあった。
「お前はいつも、何かっていうとロウと比べられてきたからな」
席を立ったラウルが、自分のベッドに向かう。「まぁそれも、仕方のないことだと思うけど」
「本人にしてみりゃいい迷惑だよ。周りが思うほど俺もあいつも、互いのことなんか意識しちゃいないってのにさ」
ベッドに腰かけるラウルを見やりながら、俺は口を尖らせた。仰向けのまま、頭の下で両のてのひらを組む。少なくとも、ロウは俺のことなんか、まったく意識していない。自分の周りに存在する『その他大勢のひとり』ぐらいにしか認識していないだろう。
「お前らは、似てるけど違いすぎるんだ」
苦笑まじりにラウルが言った。「だから、周りが比べたがる。そういうもんさ」
「……」
俺はまた、天井の染みを眺める。
ロウ・ナギハラは、士官学校に入学した当初から有名人だった。それにはいくつかの理由がある。まず一つめの理由は、やつが入学生総代だったから。二つめの理由は、やつがシェーナとニホンのハーフだったから(この学校に通う生徒の九十九パーセントは生粋のシェーナ人だ)。そして三つめの理由は、やつが初めて出席した軍事史の授業で、教官に向けた言葉のせいだ。
『なぜ、諸国を従え、統率する必要があるのです。それではまるで、近隣の国々は、シェーナの属国のようではありませんか?』
ロウの放ったその言葉は、すぐさま学校中に知れ渡り、一部の生徒たちからは『ロウ・ナギハラを放校処分にするべきだ』という声が上がるほどの騒ぎになった。
それ以外にも、ロウにまつわる噂話は後を絶たない。実はハーフではなく生粋のニホン人なのだとか、飛びぬけて成績が良いのは教官の中に彼と通じている者がいるからだとか、ロウは他国のスパイだとか――数え挙げればキリがない。しかも当の本人が否定も肯定もしないものだから、噂はどんどん尾ヒレをつけて大きくなっていってしまう。
かくして、真偽のほどは確かでないまま、ロウに近づく人間はほとんどいなくなった。もっともロウ本人がそれを気にかけている様子など、まるでなかったのだが。
俺とロウは、入学当時から何かと比べられることが多かった。
生粋のシェーナ人。祖父の代から続く、由緒正しき軍人家系。母が出奔するという『些細なトラブル』はあったものの、何ひとつ不自由のない環境で俺は育った。周囲に俺を羨むやつはいても、さげすむやつはいなかった。
それに対してロウは、シェーナとニホンのハーフだ。両親はイルハムのバザールで小さな店を営んでいるらしい。
この国において、ニホン人の地位は低い。
一世紀以上前に起きた惑星規模の大災害。極東の小さな島国だったニホンは、その災害の影響で、国がまるごと海に沈んだ。母国を失い、国家難民となったニホン人を受け入れたのが、シェーナ共和国だった。
表向き、シェーナはニホン人を温かく迎え入れた。彼らが住むための土地も、生きるための仕事も与えた。しかしその一方で、ニホン人がシェーナ人と共存を始めて一世紀あまり、いまだシェーナの国内に、ニホン人に対する差別はなくならない。おそらくは、ロウの育った家庭もそれほど裕福ではなかったのだろう。バザールに店を出すというのは、シェーナにおける第三層、いうならば貧しい人々のすることに他ならないからだ。
マジョリティに生まれた俺と、マイノリティに生まれたロウ。万年二番手の俺と、常にトップのロウ。これほど比較に適した二人もたしかにいないと、自分のことながら思う。
だけど俺自身は、自分とロウとを比べてどうこう思ったことは、これまで一度もなかった。もともとそういうことに、あまり興味を持てない性格だからかもしれない。それに、自分自身と比べてみるには、俺はロウ・ナギハラという人間をあまりに知らなすぎた。
「軍に入ってからも、同じことが続くのかねぇ」
ごろりと寝がえりを打って、またうつ伏せになる。頬杖を突いて、ラウルを見た。ラウルはベッドの縁に腰かけたまま、変わらぬ苦笑を浮かべている。
「……さぁ、それはどうかな」
友人は、軽く首を傾けて、含みのある物言いをした。それから空気を変えるように、口許に滲む苦さを消す。「それよりも、卒業後の進路は決めたのか?」
「あー……、まだ決めてない」
「はぁ? 冗談だろ」
形の良いくっきりとした眉を持ち上げて、ラウルが呆れ声を上げる。「卒業まであと二ヶ月なんだぞ。留年でもするつもりか?」
「うるせぇな。二ヶ月以内に決めれば問題ないだろ」
俺はうんざりと目を細めた。「何も考えてないってわけじゃない。一応考えちゃいるけど、まだ決めてないだけだ」
「考えちゃいるって、どう考えてるんだ?」
「どうって……まぁ、なるようになるだろ、とか」
「あのなぁ、レン。そういうのは、考えてるとは言わない」
大げさなため息を吐いて、ラウルは首を左右に振った。頭痛がするとでもいうように、こめかみを指でグリと押す。「俺はてっきり、お前は兄貴と同じ情報本部に行くもんだとばかり思ってたよ」
「情報本部かぁ。それでもいいっちゃいいんだけどさ」
思ったままを答えると、もう一度ラウルがため息を吐いた。
「それでもいいってお前……自分のことだろ。何がしたいとかないのかよ」
「したいこと、ねぇ」
頬杖を突いたまま考える。
子供の頃から、大きくなったら軍人になるのだろうと思っていた。祖父も父も軍人で、将来はお前も立派な軍人になるのだと言い聞かされて育ったからだ。それ以上の理由はない。物ごころがつくころには、『軍人になる』という未来が、俺の中には当たり前に存在していた。その意味や、軍人になったあと自分がどうしたいかなど、――気がつけば、考えてみたこともなかった。
「……お前も、ロウとは別の意味で変わってるよな」
語尾をあいまいに濁したまま、それ以上言葉の続かない俺を見て、ラウルが呟く。
「そうかな。……そうかも」
俺は苦笑を浮かべると体を起こした。ベッドの上にあぐらをかく。「お前はたしか、陸軍志望だったよな」
「ああ。Fシリーズを思いっきり飛ばすのが、子供の頃からの夢だからな」
水色の目が無邪気に笑った。
「お前なら、良いパイロットになるんじゃねぇの」
「あたりまえだろ。誰に言ってんだ」
「ラウル・フェンフィ様にだよ。このヒコーキマニア!」
言いながら、枕を掴んで投げつける。咄嗟に受け止めたラウルの手元で、長らく日干しをしていない枕が、派手に埃をまき散らす。
「げほっ、なんだよこの枕! 汚ねぇな! あとマニアって言うな!」
むせながら、ラウルが枕を投げ返してきた。受け取る俺の手元でも、盛大に埃がたつ。同じようにむせる俺を見て、ラウルは可笑しげに笑った。それからふと、笑みをゆるめる。「……軍に入ってからもさ。一緒に働けるといいな」
「どうした? こんな馬鹿やれんのもあと二ヶ月だと思ったら、急に寂しくなったか」
枕を腕に抱えたまま、茶化すように俺は返した。
「……誰が寂しくなったって?」
馬鹿馬鹿しい、というようにラウルがふいと顔を背ける。
「拗ねんなよ、ラウ」
「拗ねてねぇよ。ていうか、なんで俺が拗ねなきゃいけないんだよ」
からかいの言葉を投げると、こちらを向いた横顔が、さらにヘソを曲げた。その様子をおかしく思いながらも――それとはまったく別のところで、俺はぼんやりと考える。
俺は自分と比べられるほど、ロウのことを何も知らない。
だけど俺はそれ以上に――俺自身のことを、何も分かっていないのかもしれない。
(つづく)
Logos -LivexEvil Ante Christum- act.03
エビル外伝三回目です。
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3.
中庭を出てしばらく行くと、右手に五号棟が見えてくる。灰色の壁に蔦の這う、いかにも学び舎という雰囲気の建物だ。
約二千人の生徒が籍を置く国立士官学校の広大な敷地には、全部で十五の棟があった。併設された学生宿舎も加えると、小さな町ほどの大きさになる。敷地内には校舎の他に、日用品を売る店や食堂、それからちょっとした娯楽施設も設けられていた。青春の四年間を、全寮制の、しかも門限が厳しく決められた灰色の世界で過ごす若者たちにとって、少しでも「外の空気」を感じられるそれらの施設は、なくてはならないものだ。
(……まあそれも、あと少しの話だけど)
のんびり歩みを進めながら思う。卒業式は二カ月後だ。それが終われば、晴れて俺は自由の身になる。もっとも、卒業後はそのまま軍に入るわけだから、過ごす環境はさほど今と変わらないかもしれないが。それでも、宿舎住まいをする必要はもうないし、門限を気にかけながら街に出かけることもなくなる。とりあえず、今の俺にはそれだけで充分だった。
そよ吹く午後の風に乗り、鐘の音が降りてくる。周囲を行き交う生徒たちの、足取りがあわただしくなる。あと五分で午後の講義が始まるのだ。
俺は靴先を五号棟の出入り口へと向けた。午後のひとコマ目、航空力学の講義室は、この棟の三階にある。少し急げば、充分間に合う距離だ。
エントランスの石段に片足をかけ、そのまま一気に駆け上ろうとして――視界の端にちらりと映った男の姿に、俺は足を止めた。後からきた生徒たちに左右を追い越されながら、少し体をねじるようにしてそちらに顔を向ける
光さえ吸いこむような黒い髪。すんなりとした立ち姿。
ロウ・ナギハラは、周囲の生徒が校舎に向かって足を速める中、ぼんやりと空を眺めていた。右手には白い紙の束を抱えている。ここから見える横顔に、表情らしい表情は浮かんでいない。切れ長の目は、遥か遠くを見つめるように、わずかに細められている。
(なにやってんだ、あいつ)
思ってから、俺は自分の思考に苦笑した。あの男と出会って以来、俺は何度、同じ言葉を胸の中で呟いただろう。学校一の秀才にして、学校一の変わり者。それが、ロウに対する周囲の評価だ。それについては、俺も異論ない。ロウ・ナギハラが学校一の秀才なのは紛れもない事実だし、あいつは変人なんかじゃないと否定できるほど、俺はロウと親しくないからだ。
ロウにはどこか、他人を寄せつけない空気のようなものがあった。
「レン、遅れるぞ」
顔見知りの生徒が、脇を抜けがてら声をかけてゆく。
「……ああ」
俺はロウへと目を向けたまま軽く頷いた。あそこでやつが何をしているのかは知らないが、どのみち俺には関係のないことだ。すでにほとんどの生徒は校舎の中へと姿を消している。急がなければ、本当に講義に遅れてしまう。
ロウはといえば、未だに空を眺めたまま、動く気配は欠片もない。
(本当、変なやつ)
これもまた、もう何度目かも知れない感想を声なく零して、俺はロウから目を離そうとした。
――その時。
「――っ」
ふいに、ざあっと木々の梢を揺らして突風が吹いた。
そして次の瞬間、目の前で起きた出来事に、思わず俺はぎょっとした。
無数の白い紙きれが、ゆるい渦を巻きながら空へと舞い上がる。気流に乗ったそれは、驚くほど高い場所まで、一瞬の内に翔(と)んでゆく。
ロウが右手に抱えていた、紙の束だった。しっかり持っていなかったせいで、風にさらわれてしまったのだろう。しかし当の本人は、それを気にした様子もなく、先ほどまでと同じようにぼんやり空を仰ぎ続けている。
「……おい」
さすがに怪訝に思って、俺は声をかけた。それでもロウは動かない。
(目ぇ開けて立ったまま寝てんのか? こいつ)
一向に反応を示さない相手に不審が募る。
「聞こえてないのかよ」
「――聞こえているよ。僕の聴力は正常だ」
先ほどよりも強めの語調で尋ねると、ようやく返事がかえってきた。独り言をつぶやくような、静かで平坦な声。周囲をして『まるで感情のこもらない』と言わしめる独特の話し方。……いつも通りのロウだ。
「そりゃあ結構なことだけどさ。いいのか? ぼんやりしてて」
俺は怪訝と問いを重ねた。
「いいって何が」
ロウが聞き返してくる。
「さっきの紙だよ。大事なものじゃないのか?」
「あれはただの白紙だから問題はない」
「白紙?」
「白紙というのは、何も書いていない紙のことだ」
抑揚のない声に説明されて、俺は思わず苦笑した。
「あのなぁ。そんなことは言われなくても分かってる」
「だったら、問題はないということも分かっただろう」
そこまで言って、ロウは空へと向けていた視線を下ろし、俺を見た。
声音同様、感情を読み取ることのできない、黒いまなざし。シェーナ人と良く似てはいるが、どこか少し毛色の違う、涼しげな面貌。身長は、俺と同じ170台後半だ。ほっそりとして見えるが、演習のあとの更衣室で見た体躯には、しっかりと筋肉がついていた。もしもこの学校に女子生徒がいたら、きっとこいつはよくモテただろう。
「……だが、あたりにゴミをばらまいてしまった」
静かな視線を俺に向けたまま、ロウが続けた。「あの紙がどこまで飛んでいったのかは知らないが、落下地点にいる人間には、悪いことをしてしまったな」
「……」
やっぱりこいつは変わっている。それを聞いて俺は思った。なんというか――そう、ズレているのだ。俺たちとこいつは、どこか違う。ハツカが聞いたらきっとまた、あのお決まりの台詞を口にするだろう。
「ところで、お前は平気なのか」
溜息をこぼしていると、ロウに尋ねられた。
「なにがだよ?」
「すでに講義の開始時間を過ぎているようだが」
「……げ」
咄嗟に手首の時計を見て、俺は舌を出す。ロウの言うとおり、長針は午後の授業開始時間を五分ほど回っていた。
「急げばまだ間に合うぞ。走れ」
強弱の薄い口調で促される。たしかに、五分程度の遅刻であれば、どうとでも言い訳はできるだろう。
「あ、ああ」
軽く頷き、踵を返しかけて――もう一度、俺はロウを見た。
「て、お前は出ないのか? 次のコマは同じ航空力学だろ」
「僕は出ない」
端的な答えが返ってくる。すでにロウは、俺を見てはいなかった。正面に向き直り、ゆっくり歩き出している。
「最終試験が済んだからって、さぼってると評価に響くぞ」
次第に遠ざかってゆく後ろ姿を眺めながら俺は言う。――言ってから、自分でも、ひどくつまらない台詞だなと思った。ロウがそれをどう聞いたかは分からない。
「さよなら」
ただ一言、ひどく素っ気ない言葉を残して立ち去ってゆく。
(……そういやあいつ、ずっとなにを見てたんだろう)
校舎の向こうへと消える背中を見送りながら、俺はふと、そんなことを思った。
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中庭を出てしばらく行くと、右手に五号棟が見えてくる。灰色の壁に蔦の這う、いかにも学び舎という雰囲気の建物だ。
約二千人の生徒が籍を置く国立士官学校の広大な敷地には、全部で十五の棟があった。併設された学生宿舎も加えると、小さな町ほどの大きさになる。敷地内には校舎の他に、日用品を売る店や食堂、それからちょっとした娯楽施設も設けられていた。青春の四年間を、全寮制の、しかも門限が厳しく決められた灰色の世界で過ごす若者たちにとって、少しでも「外の空気」を感じられるそれらの施設は、なくてはならないものだ。
(……まあそれも、あと少しの話だけど)
のんびり歩みを進めながら思う。卒業式は二カ月後だ。それが終われば、晴れて俺は自由の身になる。もっとも、卒業後はそのまま軍に入るわけだから、過ごす環境はさほど今と変わらないかもしれないが。それでも、宿舎住まいをする必要はもうないし、門限を気にかけながら街に出かけることもなくなる。とりあえず、今の俺にはそれだけで充分だった。
そよ吹く午後の風に乗り、鐘の音が降りてくる。周囲を行き交う生徒たちの、足取りがあわただしくなる。あと五分で午後の講義が始まるのだ。
俺は靴先を五号棟の出入り口へと向けた。午後のひとコマ目、航空力学の講義室は、この棟の三階にある。少し急げば、充分間に合う距離だ。
エントランスの石段に片足をかけ、そのまま一気に駆け上ろうとして――視界の端にちらりと映った男の姿に、俺は足を止めた。後からきた生徒たちに左右を追い越されながら、少し体をねじるようにしてそちらに顔を向ける
光さえ吸いこむような黒い髪。すんなりとした立ち姿。
ロウ・ナギハラは、周囲の生徒が校舎に向かって足を速める中、ぼんやりと空を眺めていた。右手には白い紙の束を抱えている。ここから見える横顔に、表情らしい表情は浮かんでいない。切れ長の目は、遥か遠くを見つめるように、わずかに細められている。
(なにやってんだ、あいつ)
思ってから、俺は自分の思考に苦笑した。あの男と出会って以来、俺は何度、同じ言葉を胸の中で呟いただろう。学校一の秀才にして、学校一の変わり者。それが、ロウに対する周囲の評価だ。それについては、俺も異論ない。ロウ・ナギハラが学校一の秀才なのは紛れもない事実だし、あいつは変人なんかじゃないと否定できるほど、俺はロウと親しくないからだ。
ロウにはどこか、他人を寄せつけない空気のようなものがあった。
「レン、遅れるぞ」
顔見知りの生徒が、脇を抜けがてら声をかけてゆく。
「……ああ」
俺はロウへと目を向けたまま軽く頷いた。あそこでやつが何をしているのかは知らないが、どのみち俺には関係のないことだ。すでにほとんどの生徒は校舎の中へと姿を消している。急がなければ、本当に講義に遅れてしまう。
ロウはといえば、未だに空を眺めたまま、動く気配は欠片もない。
(本当、変なやつ)
これもまた、もう何度目かも知れない感想を声なく零して、俺はロウから目を離そうとした。
――その時。
「――っ」
ふいに、ざあっと木々の梢を揺らして突風が吹いた。
そして次の瞬間、目の前で起きた出来事に、思わず俺はぎょっとした。
無数の白い紙きれが、ゆるい渦を巻きながら空へと舞い上がる。気流に乗ったそれは、驚くほど高い場所まで、一瞬の内に翔(と)んでゆく。
ロウが右手に抱えていた、紙の束だった。しっかり持っていなかったせいで、風にさらわれてしまったのだろう。しかし当の本人は、それを気にした様子もなく、先ほどまでと同じようにぼんやり空を仰ぎ続けている。
「……おい」
さすがに怪訝に思って、俺は声をかけた。それでもロウは動かない。
(目ぇ開けて立ったまま寝てんのか? こいつ)
一向に反応を示さない相手に不審が募る。
「聞こえてないのかよ」
「――聞こえているよ。僕の聴力は正常だ」
先ほどよりも強めの語調で尋ねると、ようやく返事がかえってきた。独り言をつぶやくような、静かで平坦な声。周囲をして『まるで感情のこもらない』と言わしめる独特の話し方。……いつも通りのロウだ。
「そりゃあ結構なことだけどさ。いいのか? ぼんやりしてて」
俺は怪訝と問いを重ねた。
「いいって何が」
ロウが聞き返してくる。
「さっきの紙だよ。大事なものじゃないのか?」
「あれはただの白紙だから問題はない」
「白紙?」
「白紙というのは、何も書いていない紙のことだ」
抑揚のない声に説明されて、俺は思わず苦笑した。
「あのなぁ。そんなことは言われなくても分かってる」
「だったら、問題はないということも分かっただろう」
そこまで言って、ロウは空へと向けていた視線を下ろし、俺を見た。
声音同様、感情を読み取ることのできない、黒いまなざし。シェーナ人と良く似てはいるが、どこか少し毛色の違う、涼しげな面貌。身長は、俺と同じ170台後半だ。ほっそりとして見えるが、演習のあとの更衣室で見た体躯には、しっかりと筋肉がついていた。もしもこの学校に女子生徒がいたら、きっとこいつはよくモテただろう。
「……だが、あたりにゴミをばらまいてしまった」
静かな視線を俺に向けたまま、ロウが続けた。「あの紙がどこまで飛んでいったのかは知らないが、落下地点にいる人間には、悪いことをしてしまったな」
「……」
やっぱりこいつは変わっている。それを聞いて俺は思った。なんというか――そう、ズレているのだ。俺たちとこいつは、どこか違う。ハツカが聞いたらきっとまた、あのお決まりの台詞を口にするだろう。
「ところで、お前は平気なのか」
溜息をこぼしていると、ロウに尋ねられた。
「なにがだよ?」
「すでに講義の開始時間を過ぎているようだが」
「……げ」
咄嗟に手首の時計を見て、俺は舌を出す。ロウの言うとおり、長針は午後の授業開始時間を五分ほど回っていた。
「急げばまだ間に合うぞ。走れ」
強弱の薄い口調で促される。たしかに、五分程度の遅刻であれば、どうとでも言い訳はできるだろう。
「あ、ああ」
軽く頷き、踵を返しかけて――もう一度、俺はロウを見た。
「て、お前は出ないのか? 次のコマは同じ航空力学だろ」
「僕は出ない」
端的な答えが返ってくる。すでにロウは、俺を見てはいなかった。正面に向き直り、ゆっくり歩き出している。
「最終試験が済んだからって、さぼってると評価に響くぞ」
次第に遠ざかってゆく後ろ姿を眺めながら俺は言う。――言ってから、自分でも、ひどくつまらない台詞だなと思った。ロウがそれをどう聞いたかは分からない。
「さよなら」
ただ一言、ひどく素っ気ない言葉を残して立ち去ってゆく。
(……そういやあいつ、ずっとなにを見てたんだろう)
校舎の向こうへと消える背中を見送りながら、俺はふと、そんなことを思った。
(つづく)
Logos -LivexEvil Ante Christum- act.02
エビル外伝二回目です。
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2.
「今年の卒業生総代は、どうやらキミで決まりらしいね」
――ハツカ・フェイリンがそう声をかけてきたのは、卒業式までちょうど二カ月を切った日のことだった。
「なんだよ、急に?」
手元のデータパッドから顔を上げ、俺は怪訝とハツカに尋ねる。
中庭は、昼休みを過ごす生徒たちで賑っていた。その一角、楡(にれ)の大樹が枝葉を広げるスペースは、俺のお気に入りの場所だ。
木の根元にあぐらをかく俺の傍までやってくると、楡の枝葉を背景に、ハツカはにいっと笑った。鼻の上に散ったそばかすと、癖のある赤毛。そして、トレードマークの黒ぶち眼鏡。一年のころ、子供みたいにチビだった背は、四年の間にずいぶん伸びて今は180センチ近い。いつまで経っても変わらないのは、口端から覗く白い八重歯と、噂好きな性格――その二つだけだ。
ハツカは俺のとなりに座ると、データパッドを覗きこんできた。
「なに見てんの? エロ画像?」
「……こんな場所で、真昼間からそんなもん見るかよ、あほ」
「なーんだ、ただのニュースサイトか。つまんないの」
「で、なんで俺が総代で決まりなんだよ」
「ああ、その話」
それかけた話を引き戻すと、数十秒前のことなどすっかり忘れていたという顔で、ハツカはニイと笑った。ずり落ちた眼鏡を人差し指で元の位置へと戻す。「キミの最大のライバルが自滅してくれたからさ」
「……は?」
「ロウだよ、ロウ。二限目の、政治学の講義でさ。クロウス教官と派手にやりあったらしいぜ。なんでも教官相手に、軍閥政治を批判したとかいうハナシ。まったく、さすがだよね、カレ」
口許の笑みはそのままに、ハツカは眉をしかめて見せた。「クロウス教官っていったら、保守も保守、筋ガネ入りのコンサバだよ。そんな相手に軍閥批判をふっかけるなんて、ドラスティックにもほどがある。やっぱりあれかな。頭の良すぎるやつっていうのは、どこかでネジがゆるんじゃってるものなのかな。どう思う? レン」
「そんなこと、俺が知るわけないだろ」
データパッドの画面に目を戻すと、つっけんどんな口調で答える。
「だけどこれで、あいつが卒業生総代に選ばれる可能性はゼロになったよ。クロウス教官は成績評定委員会の副委員長だからね。試験の点数がいくら良くても、自分にかみついた生徒を総代には推さないさ。つまり、選ばれるのは二番手のキミってわけ。おめでとう」
俺の口調を気にする風もなく、ハツカは早口で続けた。
(……二番手とかうるせえよ。あいかわらず、素で失礼なやつ)
さらりと言われた言葉に内心で呟きながら、俺は小さく肩をすくめた。
「どうだかな。まだ、そうと決まったわけじゃないと思うけど」
「え? なんでさ」
「評価を決めるのはクロウス一人じゃないだろう。それに先月の最終試験じゃ、あいつの方がA+がふたつ多かった」
「……まあ、たしかに、カレの優秀さはボクも認めるけどね」
面白くなさそうに鼻を鳴らしてハツカが言う。「でもカレは、ボクたちの代表にはふさわしくないと思うんだ。――だってカレは、生粋のシェーナ人じゃないんだから」
「……まぁた、それかよ」
ハツカの言葉を聞いて、俺はうんざりと首を振った。
国粋主義。シェーナの大半を支配する思想。
国を想い、国を愛すること自体は、悪いものだとは思わない。俺だって、国粋主義者か否かと問われれば、迷いもなく前者と答える。
だけど、時としてそれらの思想は、自分たち以外のものを虐げる排他主義へと姿を変える。とくに、保守的な考え方をする人間が多い軍部では、その傾向が強かった。
クロウスやハツカは、典型的な国粋主義者だ。そして彼らは、ロウのことを語る時、必ずこう付け加えるのを忘れない。
――ロウ・ナギシバは生粋のシェーナ人じゃない。
ロウは、シェーナとニホンのハーフだ。ハツカのような人間にとって、亡国の血が混じるロウが、総代としてこの学校を卒業することは、許しがたく感じられるのかも知れない。正直俺からしてみれば、理屈は理解できても感覚としては理解できない――そんな話だった。一番優秀な成績を修めた者が総代に選ばれる。それは、至極当たり前のことに思えるからだ。
だけどそのことを今ここで、ハツカに話すつもりもなかった。余計なことを言って『レン・ウォンシーは国粋主義を否定する危険因子だ』なんて噂を流されたらたまったものじゃない。卒業前のこの時期に、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
「……とにかく、決めるのは俺じゃないからな。なるようになるだけさ」
データパッドをスリープモードに切り換えてカバンを拾うと、俺は楡の根本から立ち上がった。
「ちょっと! キミがそんな弱気じゃ困るんだよね。それに二番手のまま卒業なんて、キミの父上や兄上だってがっかりするんじゃないかな」
地面に座り込んだまま、俺を見上げてハツカが言う。
(……だから、余計な世話だっつうの)
胸中で再び毒づいてから、俺はハツカを見おろす。
「総代なんてただの生徒の代表だろ。誰がなったところで世界が変わるわけじゃない。あんまり気にしすぎんなよ、ハツカ」
データパッドをカバンの中に放り込み、中庭の出口に向けて歩き出す。
「とにかくボクは、断然キミを支持するからね」
しつこく追いかけてくる声に、俺はやれやれと溜息を吐いた。
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「今年の卒業生総代は、どうやらキミで決まりらしいね」
――ハツカ・フェイリンがそう声をかけてきたのは、卒業式までちょうど二カ月を切った日のことだった。
「なんだよ、急に?」
手元のデータパッドから顔を上げ、俺は怪訝とハツカに尋ねる。
中庭は、昼休みを過ごす生徒たちで賑っていた。その一角、楡(にれ)の大樹が枝葉を広げるスペースは、俺のお気に入りの場所だ。
木の根元にあぐらをかく俺の傍までやってくると、楡の枝葉を背景に、ハツカはにいっと笑った。鼻の上に散ったそばかすと、癖のある赤毛。そして、トレードマークの黒ぶち眼鏡。一年のころ、子供みたいにチビだった背は、四年の間にずいぶん伸びて今は180センチ近い。いつまで経っても変わらないのは、口端から覗く白い八重歯と、噂好きな性格――その二つだけだ。
ハツカは俺のとなりに座ると、データパッドを覗きこんできた。
「なに見てんの? エロ画像?」
「……こんな場所で、真昼間からそんなもん見るかよ、あほ」
「なーんだ、ただのニュースサイトか。つまんないの」
「で、なんで俺が総代で決まりなんだよ」
「ああ、その話」
それかけた話を引き戻すと、数十秒前のことなどすっかり忘れていたという顔で、ハツカはニイと笑った。ずり落ちた眼鏡を人差し指で元の位置へと戻す。「キミの最大のライバルが自滅してくれたからさ」
「……は?」
「ロウだよ、ロウ。二限目の、政治学の講義でさ。クロウス教官と派手にやりあったらしいぜ。なんでも教官相手に、軍閥政治を批判したとかいうハナシ。まったく、さすがだよね、カレ」
口許の笑みはそのままに、ハツカは眉をしかめて見せた。「クロウス教官っていったら、保守も保守、筋ガネ入りのコンサバだよ。そんな相手に軍閥批判をふっかけるなんて、ドラスティックにもほどがある。やっぱりあれかな。頭の良すぎるやつっていうのは、どこかでネジがゆるんじゃってるものなのかな。どう思う? レン」
「そんなこと、俺が知るわけないだろ」
データパッドの画面に目を戻すと、つっけんどんな口調で答える。
「だけどこれで、あいつが卒業生総代に選ばれる可能性はゼロになったよ。クロウス教官は成績評定委員会の副委員長だからね。試験の点数がいくら良くても、自分にかみついた生徒を総代には推さないさ。つまり、選ばれるのは二番手のキミってわけ。おめでとう」
俺の口調を気にする風もなく、ハツカは早口で続けた。
(……二番手とかうるせえよ。あいかわらず、素で失礼なやつ)
さらりと言われた言葉に内心で呟きながら、俺は小さく肩をすくめた。
「どうだかな。まだ、そうと決まったわけじゃないと思うけど」
「え? なんでさ」
「評価を決めるのはクロウス一人じゃないだろう。それに先月の最終試験じゃ、あいつの方がA+がふたつ多かった」
「……まあ、たしかに、カレの優秀さはボクも認めるけどね」
面白くなさそうに鼻を鳴らしてハツカが言う。「でもカレは、ボクたちの代表にはふさわしくないと思うんだ。――だってカレは、生粋のシェーナ人じゃないんだから」
「……まぁた、それかよ」
ハツカの言葉を聞いて、俺はうんざりと首を振った。
国粋主義。シェーナの大半を支配する思想。
国を想い、国を愛すること自体は、悪いものだとは思わない。俺だって、国粋主義者か否かと問われれば、迷いもなく前者と答える。
だけど、時としてそれらの思想は、自分たち以外のものを虐げる排他主義へと姿を変える。とくに、保守的な考え方をする人間が多い軍部では、その傾向が強かった。
クロウスやハツカは、典型的な国粋主義者だ。そして彼らは、ロウのことを語る時、必ずこう付け加えるのを忘れない。
――ロウ・ナギシバは生粋のシェーナ人じゃない。
ロウは、シェーナとニホンのハーフだ。ハツカのような人間にとって、亡国の血が混じるロウが、総代としてこの学校を卒業することは、許しがたく感じられるのかも知れない。正直俺からしてみれば、理屈は理解できても感覚としては理解できない――そんな話だった。一番優秀な成績を修めた者が総代に選ばれる。それは、至極当たり前のことに思えるからだ。
だけどそのことを今ここで、ハツカに話すつもりもなかった。余計なことを言って『レン・ウォンシーは国粋主義を否定する危険因子だ』なんて噂を流されたらたまったものじゃない。卒業前のこの時期に、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。
「……とにかく、決めるのは俺じゃないからな。なるようになるだけさ」
データパッドをスリープモードに切り換えてカバンを拾うと、俺は楡の根本から立ち上がった。
「ちょっと! キミがそんな弱気じゃ困るんだよね。それに二番手のまま卒業なんて、キミの父上や兄上だってがっかりするんじゃないかな」
地面に座り込んだまま、俺を見上げてハツカが言う。
(……だから、余計な世話だっつうの)
胸中で再び毒づいてから、俺はハツカを見おろす。
「総代なんてただの生徒の代表だろ。誰がなったところで世界が変わるわけじゃない。あんまり気にしすぎんなよ、ハツカ」
データパッドをカバンの中に放り込み、中庭の出口に向けて歩き出す。
「とにかくボクは、断然キミを支持するからね」
しつこく追いかけてくる声に、俺はやれやれと溜息を吐いた。
(つづく)
- 2010/10/01(金) 00:50 |
- Logos -LivexEvil Ante Christum- |
- cm:2 |
- tb:0
Logos -LivexEvil Ante Christum-登場人物
○レン・ウォンシー
本作の主人公。20歳。国立士官学校四年生。
○ロウ・ナギシバ
20歳。国立士官学校四年生。
レンの同期生。
シェーナとニホンのハーフ。
学内一の秀才で変わり者。
○ナガル・ミゾロギ
22歳。共和国軍の下士官。
ロウの知人。
○ソウシュン・ヤエタナ
22歳。共和国軍の少校。
ロウの知人。
○ハツカ・フェイリン
20歳。国立士官学校四年生。
レンの同期生。
○ラウル・フェンフィ
20歳。国立士官学校四年生。
レンのルームメイト。
~以後、逐次更新予定~
本作の主人公。20歳。国立士官学校四年生。
○ロウ・ナギシバ
20歳。国立士官学校四年生。
レンの同期生。
シェーナとニホンのハーフ。
学内一の秀才で変わり者。
○ナガル・ミゾロギ
22歳。共和国軍の下士官。
ロウの知人。
○ソウシュン・ヤエタナ
22歳。共和国軍の少校。
ロウの知人。
○ハツカ・フェイリン
20歳。国立士官学校四年生。
レンの同期生。
○ラウル・フェンフィ
20歳。国立士官学校四年生。
レンのルームメイト。
~以後、逐次更新予定~
- 2010/09/24(金) 00:00 |
- Logos -LivexEvil Ante Christum- |
- cm:0 |
- tb:0
Logos -LivexEvil Ante Christum- act.01
エビル外伝初回です。
お手数ですが、下記リンクを開かれる前に、
注意事項をご確認ください。
・本作はオフィシャル外伝ではありません。
私宙地の個人創作物としてお楽しみ頂ければ幸いです。
・ゲーム本篇より四十年ほど前の世界が舞台です。
・基本的にゲーム本篇のネタばれを考慮していません。
ネタばれを回避したい方は、閲覧を控えてください。
・BLっ気はほのかなアロマの香り程度です。
・亀更新です。気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
・作品への苦情、感想などは宙地までお寄せください。
EDGEの元運営会社様へ問い合わせを行うことは絶対にご遠慮ください。
登場人物設定はこちら
以上、すべて了解したよ!という方は、下記リンクよりどうぞ。
1.
「国家」の意味も知らない子供の頃から、大きくなったら自分は軍人になるのだと、何の疑問も抱かずに、ずっとそう思っていた。
祖父は軍人だった。父もまた、軍人だ。
五つ年上の兄は、士官学校を首席で出たのち、軍の情報指令本部で順調にキャリアを積んでいる。二十五歳の若さで上校の称号を得た者は、ここ十年で兄一人らしい。
親に決められて父と結婚した母は、二人の息子が夫と同じ「軍人」になることを、快くは思っていなかった。シェーナの女性には珍しく、リベラルなものの考え方をする人だったから、保守的な祖父や父のことが、最後まで理解できなかったのだろう。俺が士官学校に入学した十六のとき、母は家を出て行った。以来、一度も会っていない。
入学試験の成績は、全生徒の中で二番目だった。兄と同じく一番でなかったことに、祖父や父は驚き、怒った。だけど俺は、自分が二番だったことよりも、一番をとったやつのことが気になった。俺の成績は、どの科目もほぼ満点に近いものだった。つまりそいつは、全問正解に限りなく近い形で合格を果たしたということだ。純粋に、どんなやつなのか興味があった。
――いまでも鮮やかに覚えている。
あれは、士官学校に入学して、まだ日も浅い頃のことだ。
「我らがシェーナ共和国は、大陸東方の強国として、周辺諸国を従え、統率してゆく義務がある」
風の強い、良く晴れた日の午後だった。四限目の、軍事史の講義中。大陸の地図を示しながら、淡々と語る教官の言葉に、手を挙げた奴がいた。
「……質問かね?」
講義を中断させられて、教官が怪訝な声を出す。室内にいる生徒たちの目が、一斉に一点へと向けられた。
(……?)
講義室の右端前方に座っていた俺は、彼らの視線を追って、自分とは対極線上にある、後方の席を振り返った。
一人の少年が――そう、まだあのころ、俺たちは「少年」と呼ばれる年齢だった――右手を挙げている。士官学校の生徒にしては少し長めの前髪から、切れ長の黒い目が覗いていた。
(……あんなやつ、いたっけ)
見覚えのない顔に、そう思う。それよりも、講義中に手を挙げるなど、どういうつもりなのだろう。怪訝に思いながら、俺はそいつが口を開くのを待った。
クラス中の視線が見守る中、少年は、鷹揚な仕草で手をおろす。
それから、言った。
「なぜ、そのような義務があるのです?」
「……なに?」
問いの意味を即座には理解できないというように、教官が眉を寄せる。生徒たちの間にざわめきが広がった。「なぜ、とはどういう意味だ」
「ですから――なぜ、諸国を従え、統率する必要があるのです。それではまるで、近隣の国々は、シェーナの属国のようではありませんか?」
(……なんだ? あいつ……)
少年の言葉を聞いて、俺は思った。教官の言ったことに、おかしな点があるとは思えない。シェーナが大陸随一の強国であり、他国を統率すべき立場にあることは、揺るぎようのない事実だ。
「……君は何を言っているのだね?」
案の定、教官が問い返す。少年を見るその目には、微かな侮蔑の色があった。「シェーナは極東全域に影響力を持つ大国だ。周辺の諸国を圧倒し、支配するだけの力を我が国は持っている。我々は、絶対的な強者なのだ」
「――」
少年は、教官を真っ直ぐに見つめたまま言い返さない。
「いいかね。まともな軍人になりたければ、くだらんことは考えるな。なぜ、などという言葉は、軍に属するものには必要ない」
切り捨てるような語調で続けると、教官は目を細めた。「……ようやく講義に顔を出したかと思えば、実にくだらん質問だ。君がどれほど優秀なのかは知らないが、この国で出世をしたければ、まずはその態度を改めるのだな、ナギシバ君」
――ナギシバ。
その名前には、聞き覚えがあった。今年の新入生総代。俺よりも――そしておそらく、俺の兄よりも優秀な成績で、この学校に入学した生徒。
「講義を再開する」
教官のその声で、少年へと向けられていた好奇の視線が、ひとつ、ふたつと正面に向き直ってゆく。だけど俺は、離れた席に座るそいつから、なぜだか目が離せなかった。
こちらの視線に気づいたのだろう。前髪から覗く目が、ふいに俺をとらえる。
「……」
少年はしばしの間、俺をじっと見つめたあと、興味を失ったかのように視線を逸らした。その仕草はひどく素っ気のないものだったが、不思議と俺には嫌な感じがしなかった。
変なやつ。
――俺は、あいつに負けたのか。
それが、ロウ・ナギシバに対して、俺が最初に覚えた印象だった。
お手数ですが、下記リンクを開かれる前に、
注意事項をご確認ください。
・本作はオフィシャル外伝ではありません。
私宙地の個人創作物としてお楽しみ頂ければ幸いです。
・ゲーム本篇より四十年ほど前の世界が舞台です。
・基本的にゲーム本篇のネタばれを考慮していません。
ネタばれを回避したい方は、閲覧を控えてください。
・BLっ気はほのかなアロマの香り程度です。
・亀更新です。気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
・作品への苦情、感想などは宙地までお寄せください。
EDGEの元運営会社様へ問い合わせを行うことは絶対にご遠慮ください。
登場人物設定はこちら
以上、すべて了解したよ!という方は、下記リンクよりどうぞ。
「国家」の意味も知らない子供の頃から、大きくなったら自分は軍人になるのだと、何の疑問も抱かずに、ずっとそう思っていた。
祖父は軍人だった。父もまた、軍人だ。
五つ年上の兄は、士官学校を首席で出たのち、軍の情報指令本部で順調にキャリアを積んでいる。二十五歳の若さで上校の称号を得た者は、ここ十年で兄一人らしい。
親に決められて父と結婚した母は、二人の息子が夫と同じ「軍人」になることを、快くは思っていなかった。シェーナの女性には珍しく、リベラルなものの考え方をする人だったから、保守的な祖父や父のことが、最後まで理解できなかったのだろう。俺が士官学校に入学した十六のとき、母は家を出て行った。以来、一度も会っていない。
入学試験の成績は、全生徒の中で二番目だった。兄と同じく一番でなかったことに、祖父や父は驚き、怒った。だけど俺は、自分が二番だったことよりも、一番をとったやつのことが気になった。俺の成績は、どの科目もほぼ満点に近いものだった。つまりそいつは、全問正解に限りなく近い形で合格を果たしたということだ。純粋に、どんなやつなのか興味があった。
――いまでも鮮やかに覚えている。
あれは、士官学校に入学して、まだ日も浅い頃のことだ。
「我らがシェーナ共和国は、大陸東方の強国として、周辺諸国を従え、統率してゆく義務がある」
風の強い、良く晴れた日の午後だった。四限目の、軍事史の講義中。大陸の地図を示しながら、淡々と語る教官の言葉に、手を挙げた奴がいた。
「……質問かね?」
講義を中断させられて、教官が怪訝な声を出す。室内にいる生徒たちの目が、一斉に一点へと向けられた。
(……?)
講義室の右端前方に座っていた俺は、彼らの視線を追って、自分とは対極線上にある、後方の席を振り返った。
一人の少年が――そう、まだあのころ、俺たちは「少年」と呼ばれる年齢だった――右手を挙げている。士官学校の生徒にしては少し長めの前髪から、切れ長の黒い目が覗いていた。
(……あんなやつ、いたっけ)
見覚えのない顔に、そう思う。それよりも、講義中に手を挙げるなど、どういうつもりなのだろう。怪訝に思いながら、俺はそいつが口を開くのを待った。
クラス中の視線が見守る中、少年は、鷹揚な仕草で手をおろす。
それから、言った。
「なぜ、そのような義務があるのです?」
「……なに?」
問いの意味を即座には理解できないというように、教官が眉を寄せる。生徒たちの間にざわめきが広がった。「なぜ、とはどういう意味だ」
「ですから――なぜ、諸国を従え、統率する必要があるのです。それではまるで、近隣の国々は、シェーナの属国のようではありませんか?」
(……なんだ? あいつ……)
少年の言葉を聞いて、俺は思った。教官の言ったことに、おかしな点があるとは思えない。シェーナが大陸随一の強国であり、他国を統率すべき立場にあることは、揺るぎようのない事実だ。
「……君は何を言っているのだね?」
案の定、教官が問い返す。少年を見るその目には、微かな侮蔑の色があった。「シェーナは極東全域に影響力を持つ大国だ。周辺の諸国を圧倒し、支配するだけの力を我が国は持っている。我々は、絶対的な強者なのだ」
「――」
少年は、教官を真っ直ぐに見つめたまま言い返さない。
「いいかね。まともな軍人になりたければ、くだらんことは考えるな。なぜ、などという言葉は、軍に属するものには必要ない」
切り捨てるような語調で続けると、教官は目を細めた。「……ようやく講義に顔を出したかと思えば、実にくだらん質問だ。君がどれほど優秀なのかは知らないが、この国で出世をしたければ、まずはその態度を改めるのだな、ナギシバ君」
――ナギシバ。
その名前には、聞き覚えがあった。今年の新入生総代。俺よりも――そしておそらく、俺の兄よりも優秀な成績で、この学校に入学した生徒。
「講義を再開する」
教官のその声で、少年へと向けられていた好奇の視線が、ひとつ、ふたつと正面に向き直ってゆく。だけど俺は、離れた席に座るそいつから、なぜだか目が離せなかった。
こちらの視線に気づいたのだろう。前髪から覗く目が、ふいに俺をとらえる。
「……」
少年はしばしの間、俺をじっと見つめたあと、興味を失ったかのように視線を逸らした。その仕草はひどく素っ気のないものだったが、不思議と俺には嫌な感じがしなかった。
変なやつ。
――俺は、あいつに負けたのか。
それが、ロウ・ナギシバに対して、俺が最初に覚えた印象だった。
(つづく)
- 2010/09/24(金) 00:00 |
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